中津 由利加 MAISON EUREKA デザイナー

回顧録

#04

最後に袖を通したのは高校の卒業式だ。
私が通っていた高校はソックスやローファー、鞄、冬はコートまでが全て規定。校章のワンポイントが入った短めのソックスをできるだけ伸ばしてみたりして紺色の長めのプリーツスカートとのバランス探ったものだ。
学校にはとりわけ強い思い入れはなかったものの、時代に合っているとは言い難いクラシカルな制服自体は嫌いじゃなかった。特に冬は黒タイツにローファー、それに紺色の丸襟コートを合わせると、なんだかレトロで清楚な大人の気分になった。これがダブルガゼットのブリーフケースタイプの鞄と良く合っていた。
髪型にまでルールがあったし、眩しいレイト90’sを生きる好奇心旺盛で散漫なの年頃の私たちにとって少し窮屈であったのは確かだけれど。

学校までの道のりは自転車だった。太陽の反射でキラキラと光る川沿いを走った。紺色のスカートがなびく。優雅に泳ぐ
白鳥を横目にハァハァ、息を切らせて始業前の教室に滑り込む朝。夏の帰り道が好きだった。
ウォークマンでお気に入りの曲を聴きながら緩やかな登り坂の並木道を走った。少し上を向きながら立ち漕ぎする私を木漏れ日が照らしていた。真っ白なブラウスにヒラヒラ揺れる長めのプリーツ。

寄り道をした。
今は無き九州エネルギー館の広い駐車場で、スケボーをしてみたり。夕焼けのオレンジ色をよく覚えている。短めのソックスにローファーで。

3月1日。
その日は紺色のブレザーを着て1学年14クラスもあるマンモス校の生徒全員の前に立った。
卒業式。学校にはとりわけ思い入れはなかったが、唯一好きだった教頭先生が笑顔で送り出してくれたことは私の高校生活に大きな意義を与えた。
時代には合わない控えめな紺色。
眩しく光るティーンエイジの風景にはいつも、それに身を包んだ私の姿があった。